4年の歳月は何を変えたか 〜その2〜
「4年の歳月は何を変えたか 〜その1〜」からの続きです。
さて,とりあえずのリハビリをしながらドタバタしてるうちに11月になり,気がつけばもうレース前夜。
何とかレンタカーでマニュアル車を借りて,シフトチェンジの練習だけでもやっとこうかと考えてましたが,「マニュアル車はありません」とか言われて断念(笑)。
鈴鹿辺りのミニサーキットに練習に行こうかなと思ってましたが,こっちも音楽活動が忙しくてボツ。
結局ぶっつけ本番のサーキット走行になってしまいました。
ヤバイよ...大丈夫かなあ。
睡眠のリズムを整えるために数日前から早寝早起きをするように心がけてましたが,さすがに前夜はなかなか寝つけない。
4年間で劣化しまくってる体力。
4年間で鈍りまくってる車両感覚。
4年間でほぼゼロになってしまってる高速での車両コントロール能力。
そして4年以上前から既にマイナス領域に入ってた闘争心。
要するに,今はただのオジさん。
善良なゴールド免許のオジさんドライバー。自動車保険もずーっと20等級の頭打ち。
名阪Cコースで周囲から「見てて怖い」と言われたような,危ないドライバーでは,もうない。全くない。
本当に自分がこのブヨブヨの身体と気持で明日,サーキットを全力走行してるのか。
信じられない。
大丈夫なのか,本当に?
・・・・・・
いろいろ考えつつもいつの間にか眠りに落ち,携帯のアラームが鳴ったのは午前3時半。
ヘルメット,グローブ,シューズ,免許証...最後にもう一度チェックしてリュックを背負い,抜き足差し足で階段を下り,後ろ手に玄関の扉をそっと閉じます。
一歩踏み出し,外の空気を大きく吸い込んでふーっと息を吐き出すと,今シーズン最初の寒波で凍てついた夜空にもうもうと白く立ちこめ,目の前が真っ白になります。満月から少しだけ欠けた月が西の空に輝いてます。
ああ,これこれ。この感じ。懐かしいな。
夜明け前の寝静まった家に「日常」を置いて,競技車に乗り込み,向かうはライバルと難コースの待ち受ける「非日常」の場。
競技車ではないけど,真っ赤なアクセラのノーマルシートに乗り込んでエンジンをかけると,ちょっとだけ昔の感覚が蘇ってきます。
さあ,行こう。
高速を乗り継ぎ,ちょうど沈んでいく月を追いかけるように,西へ西へ向かいます。山間部に入ると気温はどんどん下がり,とうとう氷点下近くに。
懐かしい名前のインターを下り,ほとんど対向車もない真っ暗な県道をひたすら走ります。意外に道はよく覚えてるもんで,ナビが示す道とは違う,昔よく通ってたルートで岡山国際サーキットを目指します。
岡山国際サーキット。ここに来るのはちょうど5年ぶり。
前にここに来た時はえらい目に遭ってしまい,帰りは本当に半死半生の状態でこの道を帰って行きました。
もう二度とこんな所に来るかと...まあそこまで思いませんでしたけど,ああ,またここに来たんだなあと奇妙な感慨が湧いてきます。
高速を下りて30〜40分,予定よりも早くにサーキットのゲート前に到着。
※草木には霜が降りて真っ白
ゲート前の駐車場に停まってチームのFBに「もう着いちゃった」と打っていると,窓をコンコンする人が。
あ,M田さん!
お久しぶりでございます。いったい何年ぶりだろう。2010年の全日本で戦った時以来だから8年ぶり? お互い髪が白くなりましたなあ。
M田さんの名前はもっと前から知ってたけど,一緒に走ってタイムを競わせていただいたのはその前の年のJAFカップ@鈴鹿南が初めてだったかな。
当時からM田さん達,中部のS1500ドライバーは,ロガー等のアイテムを使いこなしててすごいスマート。気合いと根性だけで走ってる(笑)お猿のような近畿のS1500ドライバーの数歩先を行ってた。当然ながらJAFカップは近畿勢のボロ負け。まるでプロ野球選手と田舎の高校球児のような違いでした。
あの後,近畿のお猿もパドックにノートPCを持ち込み,必死でロガーのデータを解析しながら走るようになり,翌年地元の全日本でようやっと一矢報いることができました...ああもうあれから8年も経ってるのか。
今回,初めて一緒に走ることになるチームメイトともご挨拶。クレデンシャル等を受け取ってゲートをくぐり,本日のパドックへ。
そして白々と夜が明け始める頃に,チームのオーナー?TSさんが,件のデミオに乗って登場。このTSさんが,おとーさんをこのチームに誘ってくれた,その人です。そしてTSさんがこのデミオの現オーナーです。
ああ,この白いデミオとも8年ぶりの再開。懐かしいな。
8年前は最恐のライバルだった,中部S1500の誇るドライバーM田さんと愛車のデミオ。近畿の猿だったおとーさんが今,そのデミオのシートに乗ってM田さんと一緒に耐久レースを走る...不思議。本当に不思議な巡り合わせ。人生ってやっぱり面白いよ。生きてて良かった。
とはいえ,今日のこのレースはM田さんはチーム監督といった立場で,パドックでペースを管理しながらインカムでドライバーに指示を送る役割。ご自身はチームオーナーのTSさんと共に翌日のロードスターでの出走でした。
この日の4人のドライバーは,出走順に,
1stドライバー:N山さん
2ndドライバー:不惑おとーさん
3rdドライバー:YGさん
4thドライバー:小Gさん
というエントリー。
N山さん,小Gさんはこのチームでずっと走ってる実績十分のベテラン耐久ドライバー,YGさんは全日本優勝歴もある若手ジムカーナドライバー,という超豪華な顔ぶれで,そんな中におとーさんのような「ただのオジさん」が混じってていいのかどうか...やっぱりマズかったかな(汗)。
と,とりあえず,なるべく足を引っ張らないようにします,大チョンボだけはしないようにします,ごめんなさい,という状態。
・・・・・・
荷物を下ろして車両の準備して,ブリーフィング,車検...レース当日朝の目まぐるしいタイスケも本当に久しぶりで,自分が何をすべきか全く分らずただウロウロするばかり。
とりあえずシューズを暖めるために日向に置いとくとか,着替えは早めに済ませるとか,ブリーフィングには絶対出席とか,最低限,自分自身のことだけはきちんとやるようにがんばります。
役に立たんオジさんだなあと我ながら凹みますが,チームの皆さん,本当に暖かい方ばかりで,予選の後半でおとーさんにちょこっとだけ練習走行させていただけるとか,いろいろご配慮いただいております。すんません。
さてその予選。
予選ドライバーはYGさんの担当。
岡山は初めてと言われながらもスプリントドライバーの本領発揮で2分04秒台の好タイムを叩き出されます。RX-7やアテンザ,ランティスなどロードスター以外の様々なマツダ車が19台も混走するクラスで7位ですからなかなかの好ポジションです。
予選セッションも後半に入り,ここでドライバー交代。
さあいよいよ,おとーさんの4年半ぶりのサーキット走行。マニュアル車自体が数年ぶりという超ぶっつけ走行。
クラッチつないでいきなりエンストするとか,そういうお約束はなしで(笑),意外にスムースに,意外に普通に,するするっとパドックから走り出します。
コースに出るまでの速度制限(ピットロードには速度制限があります),コースインしてホワイトライン,しばらくインベタ走行,こういうのも意外に忘れずにちゃんと走ってます。
コース上の風景も,5年前に走ったのと一緒。動画で見るのと一緒。何も変わってない。
なのに,実際にコース上に出てしまうと,コースのどの辺りをどのぐらいの速度で走るのか,どの辺りでブレーキングを始めるのか,どのくらい強くブレーキングするのか,さっぱり分からない。
インカムでM田さんに「タイヤは温まってるので,いきなり思いっきり行ってもらっていいですよ」って言われても,どこをどう思い切るのか全然思い出せない。
リハビリで動画を見まくって,走行ラインは何となく覚えてるけど,車速が全然出てないから,車体がライン上に行かない(笑)。
車速が乗ってる時にはステアなんか切らなくてもタイヤが流れて自然とそのライン上に行くのに,無理矢理ステアを切って,ラインをトレースしてる状態。そう,まるっきり初心者走行。はいアウトインアウトでね〜,みたいな感じ。
もっとつかめないのがブレーキのタイミング。踏み始めのポイントすらつかめない。動画の通りに踏んだら,車速が出てないからブレーキが余り過ぎで停まりそうになっちゃう。リリースのタイミング云々どころじゃない。
スポーツ走行が4年半ぶり,ここを走るのは5年ぶり。
なるほど,こういうことか。ここまで退化するんだ。
結構なベテランドライバーだったのが,全くの初心者に戻ってる。も,ホントにフツーのオジさんレベル。サーキット怖あ,フルブレーキング怖あ,みたいな。
しかし自分のダメさ加減に呆然とする間もなく,後から,予選アタック終盤で本気モードの他車が次々にやってきます。
いけない,いけない,とりあえずレコードラインを譲らないと。
結局ほとんど「走り」を思い出せないうちに2ラップが過ぎ,もう予選セッションは終了。ラップは2分14秒だったっけ?(笑)YGさんより10秒遅いタイム。
しかし10秒落ちってどうなん(笑)。これがやはり4年半のブランクの表れだな。
ただとりあえず,マニュアル車に全く乗れなくなってるとか,バカみたいにスピンしまくるとか,そういうことはなかったんで,そこはちょっとだけホッとしたり。低次元ですが(笑)。
・・・・・・
それでもチームの雰囲気は和やかで,おとーさんがこんな激遅タイムを叩き出してても,お昼休みにはみな「本番では2分切るでしょ(笑)」とかあり得ない冗談を言ってる。いや,とりあえずエンストせずに,スピンせずに走れました,っていうだけの状態なんですが(汗)。
燃費耐久レースならではの車体を傾けて揺さぶりながらの給油とか,インカムのシステムの調整とか,いろいろ本番に向けてのルーチンの準備が進んで行きますが,おとーさんにとっては初めてのことばかり。
へー,なるほど。へー,そうだったんだ。
感心してるばっかりじゃなく,もうちょっと手伝えよ,っていう状態で(笑)。ただ変に手出ししたらかえってみんなの邪魔をしてしまいそうなことばかりなので,おとなしく言われたことだけ手伝うモードで。
さあそれでも本番出走前の,この日3度目のブリーフィングが済み,いよいよ決勝のスタート。おとーさんは2番手ドライバーなのでパドックからの応援でスタート。
グリッドから走り出し,スタートはローリングスタートで。
さあレース開始!
ファーストドライバーのN山さんはスタート後も良いポジションをキープ。デミオ勢だけでなく全体でも好位置です。ラップも安定して速い。
チーム監督のM田さんがモニターで周回や燃費をリアルタイムで確認しながらインカムでいろいろ指示を出されているのを横で見ていて,ようやっとこのレースがどういう風に進んで行くのかを理解してきます。ああ,なるほどこういう風に走行と燃費を管理してるのか。
※イヤホンを耳に着けて上からメットをかぶります
150分のレース時間を4人で割って,1人が走るのは約37分。長いようで短い。
N山さんの走行も後半に入り,勝手に早くからメットかぶってスタンバってましたが,そろそろドライバー交代の準備を,と声をかけられてにわかに緊張してきます。ドライバー交代も予選の時よりも素速く確実にしないといけません。
※何か妙に嬉しそう(笑)
「次,入ってきまーす。」
ピットにワーニング音が鳴り響き,目の前にデミオが走り込んできます。
さあ,いよいよ本番出走。
運転席と助手席のドアがバッと開け放たれ,エンジンOFF,チーム員が左右から半身を突っ込んでベルトを開放,N山さんがコックピットから出てくるのと入れ替わり,バケットに滑り込みます。
たちまち周囲から手がいっぱい出てきてベルトを装着してくれて,インカムの接続もされ,イヤホンから
「聞こえますか〜?」
というM田さんの声が聞こえてきます。
「オッケーです,聞こえてます」
返事をして,自分でバケットの前後位置を調整して,肩ベルトを締め上げ,さあ準備完了。
ピットには一定時間ストップしないといけない規則なので,カウントを読み上げてくれるのを聞いて,3...2...1...GO!でエンジンをかけ,後を確認しながらするするっとパドックを後にします。
さあ,いよいよ4年半ぶりの実戦。
さあ行くぜ〜!
まず数周は燃費を考えず全開で行ってもOKな作戦なので,予選では取り戻せなかった走りの「勘」をつかむべく,自分なりの全開走行を心がけます。
まだまだタイヤのグリップにもブレーキングもだいぶ余裕を残してる状態で,なかなか「攻める」領域にまで踏み込めません。コースのどの辺りをどのぐらいの速度で走るのか,どの辺りでどのくらいの強さブレーキングをするのか...探り探り,少しずつ詰めていきます。
幸い,周囲のクルマも落ち着いたペースで走っており,時々異次元の早さでRX-7が後から来るのにさえ気をつけていれば,特に絡むクルマもいません。
1-2周するうちに予選の時よりはだいぶマシなタイムが出るようになり,徐々にブレーキングを残しながらコーナーに入って行って,リアがジリジリ出る感じが判るようになってきました。
ストレートエンドのフルブレーキングも,これ以上行くとフロントがロックするなという右足爪先の感覚を思い出してきます。
ようやっと走りの感覚が戻ってくるのと同時にタイムも徐々に上がり,2分5秒台に届くようになりました。クルマが思うように動かせるようになってくると,走りは俄然楽しくなってきます。
ああ,これだ,この感覚。
フロントタイヤが路面をガリガリ掻いてる感覚,リアタイヤがグリップしながらもジリジリと外に流れてくれる感覚。
ステアを切るだけじゃなく,スロットルを踏んだり戻したり,ブレーキングをすることでクルマが活き活きとコーナーを回って行く感覚。タイヤを縦にも横にも動かすことで,クルマの姿勢を積極的にコントロールしている感覚。
これだ,この感覚だ。やっと戻って来た。
気が付けばラップタイムはさらに上がり,予選でYG選手が出したのと同じ2分4秒台に入りました。
まだまだイケる。あと2秒は詰められる。
しかしここで燃費走行への切り換えの指示がインカムで届きます。仕方ない,全開でタイムを詰めることは止め,ギヤを上げるタイミングを早めてエンジンの回転数を下げます。
しかしいったん走りの感覚を思い出してくると,もう2分7秒台ぐらいのラップは全くの余裕で,鼻くそほじりながら,足の裏を掻きながらでも走れそうな感じ(走れねーよ)。
ただ,燃費走行というのは「ヌルく走る」ということではなく,単にギアを上げて走るというだけで,コーナリングスピードを下げる必要はなく,コーナーを攻めても別に良いのだということに徐々に気が付き,コーナーでもしっかりがんばるようにしますが,どうしても踏み方が甘くなってしまって,なかなか2分7秒よりは速くなりません。
結局,燃費走行に入ってからは2分7秒台〜8秒台のペースでラップを刻み,インカムで会話をするのも余裕になってきて,ああ,これならまだまだ10分,20分走れるなというぐらいの余力を残して,
「この周回で入って下さい」
というインカムの言葉でピットイン。
結局,順位に変動はありませんでしたが,スピンすることもなく,コースアウトすることもなく,足が吊ることもなく,ポジションキープで37分間を無事に走り切りました。
制限速度に気をつけながらピットロードを走り,仲間が手を振るピットスペースにデミオを滑り込ませます。
さあ,しかし耐久ドライバーとして最後に重要なのは,1秒もロスせずスムースに次のドライバーにチェンジすること。ここでドタバタして足を引っ張ってはいけません。
ベルトを外し,エンジンを切って,サッとクルマを下りる...はずが,出たところでよろけます(笑)。カッコ悪う。
それでも,とりあえず2番手ドライバーとして,それほどチームの足を引っ張らずに次のドライバーにバトンタッチできてホッとします。サーキット走行4年半ぶりということを考えれば,まあ上出来でしょう。
ようやっと要領もつかめてきたので,その後は他のドライバーの乗り換えの際にも,ベルトの解除や装着を手伝ったり,ちょっとチームの一員として動けるようにもなってきました。
そして徐々に冬の陽が傾き,メインストレートがグランドスタンドの影に入って少し暗くなりかけた頃,チェッカーが振られ150分の耐久レースが終了しました。
クラス分けの関係で表彰台には上がれませんでしたが,ウチのチームはデミオのコースレコードを塗り替える72周回という記録を打ち立てることができました。
※デミオの勇姿
・・・・・・
レース終了後は相生まで引き返してホテルにチェックインし,明日のレース出走のロードスター組とも合流して,近所の居酒屋で打ち上げ&懇親会が開かれました。
改めてみんなが一人ずつ自己紹介することになり,チーム員の経歴を聞いてびっくり。みんなジムカーナや耐久レースで結構な実績や経験を持っている猛者ばかり。
「こんな所に素人のゴールド免許オジサンが混じってても良いのかな」
と,今日の朝なら,昼過ぎぐらいまでなら,また思ったでしょう。
でも,もうそうは思いませんでした。自分がこの場にドライバーの一人として座ってることに,もうそれほどの違和感は感じませんでした。
それは,今日1日実際にコースを走ってみて,レースに参加してみて,
「ああ,まだまだ走れるな」
という実感を持てたから。
「俺は確かに全日本で1回だけ(笑)勝ったことのあるドライバーだ」
という微妙な自信(笑)を取り戻したから。
それに,そんなに大したものではないけど,10年間コツコツ走ってしっかり身につけた車両感覚は,4-5年のブランクぐらいではなくならない,数周走れば戻ってくる,ということが分かったから。
あんなに...10年間...あんなに苦労して身につけた感覚が,そんな簡単になくなってたまるか,っていうことだよな ( ̄ー ̄)。
「今は隠遁されてるけど,かつては全日本で優勝歴もある熟練ドライバー」なんて紹介されるとくすぐったいけど,「まあ地元コースでしたし,特設クラスでしたし」とかって言い訳しても,実際にその時に一緒に戦っていたM田さんがそこにいるわけだし意味なし(笑)。
まあ50歳を越え,競技車を降りたこの4〜5年で,単純な体力,運動能力,認知能力は確実に落ちてきてるでしょう。
でも,不惑の10年間を自分なりに必死に走り抜けて得たもの,それはなくならない。
あの頃と比べて多少遅くはなったけど,クルマの動きを感じる能力,クルマを操る能力や,クルマの運転を楽しめる能力はちゃんと残ってる。多少リハビリをすれば,サーキットには戻って来れる。
それを実感できたのが,この猛者達と一緒にいて違和感を感じない理由...だな,たぶん。
※打ち上げ&懇親会は和やかに...でもここにいるのは歴戦の猛者ばっかり
ということで,サーキットに戻って来たおとーさん。もう「不惑」とは呼べないけど(笑)。
今年も1〜2戦はチームの一員として走らせてもらう予定です。
今回みたいに「書く」方はちょっとずつで時間はかかりますが,また時々忘れた頃に駄文をアップしたいと思います。今後ともヨロシクです。
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